Summary
「戦略・市場・競争(Strategy & Markets)」の中で、新技術が“ニッチ→大衆市場”へ伸びる途中で起きる断絶を扱う概念です。
ひと言でいうと、「普及曲線の谷にある、越えるべき壁(キャズム)」
実務では、初期の評価は高いのに売上が伸び止まり、“次の顧客層”に刺さらないときに使います。
秀逸ポイント
キャズムの秀逸さは、「良いプロダクトなら自然に広がる」という幻想を壊し、“顧客タイプの断層”を前提に戦略を切り替えさせる点にあります。初期市場(イノベーター/アーリーアダプター)は“先進性”や“未来の絵”で動く一方、メインストリーム(アーリーマジョリティ)はリスク・実装負荷・社内説明を最小化したい。つまり、必要なのは機能追加よりも、「誰の、どの困りごとを、丸ごと解決するか(Whole Product)」の再定義です。
AIマーケでも同じで、モデル精度や生成品質の前に、導入設計(データ連携・ガバナンス・運用)まで含めた“勝ち筋の型*を作れるかが、壁の超え方を左右します。
提唱者・発表時期
「キャズム(Chasm)」は、ハイテク市場の普及を説明する枠組みとして、Geoffrey A. Moore(ジェフリー・ムーア)が著書『Crossing the Chasm』で広めたものです。初版は1991年で、その後1999年・2014年に改訂されています。
理論的な土台には、E. M. Rogersのイノベーション普及理論(採用者カテゴリー)があり、ムーアはそこに「アーリーアダプター(ビジョナリー)」と「アーリーマジョリティ(プラグマティスト)」の間に“断絶”が起きやすい、と実務観点の強い主張を重ねました。一方で、この“断絶の有無”は研究者の間で異論もあり、Rogers側からは「連続的で断絶は実証されない」という反論がある点も押さえると、理解が一段深まります。
詳細説明
イノベーション普及はしばしば「採用時期の分布が正規分布(ベルカーブ)に近い」と説明され、そこから採用者カテゴリーの比率(割合)が導かれます。代表的には、イノベーター2.5%、アーリーアダプター13.5%、アーリーマジョリティ34%、レイトマジョリティ34%、ラガード16%という配分です。
重要なのは“数字の暗記”ではなく、最初の約16%(2.5%+13.5%)と、その次の34%(アーリーマジョリティ)では意思決定の論点が別物だという点です。ここに断層が生まれやすい――というのがキャズムの直感です。
キャズムは、「初期市場の成功パターンが、次の市場では通用しない」現象を説明します。普及理論の採用者比率は一般に、イノベーター2.5%/アーリーアダプター13.5%/アーリーマジョリティ34%…とされ、“最初の約16%(2.5+13.5)”を越えてからが本番、という見立てと相性が良い(=比率が語られやすい)背景があります。
何が「壁」なのか(断層の中身)
評価軸の変化:
初期:新奇性、先進性、優位性(“未来が買える”)
主流:安全性、再現性、ROI、導入負荷、既存業務との整合(“失敗しない”が買われる)
意思決定構造の変化:個人裁量→稟議・調達・情報シス・法務・現場の合意へ
信頼の獲得方法の変化:熱量ある推奨→**参照事例(リファレンス)**と標準化、保証、サポートへ
関連用語との違い(ざっくり比較)
| 概念 | 何を説明する? | キャズムとの違い |
|---|---|---|
| イノベーション普及理論(Rogers) | 採用者カテゴリーと普及の一般則 | キャズムは「特定の断絶」を強調(異論もある) |
| プロダクトライフサイクル(PLC) | 売上の時間推移(導入→成長→成熟→衰退) | “誰に売れているか”の断層を直接は説明しない |
| Technology Adoption Life Cycle(Moore系) | ハイテク市場での採用の進み方 | キャズムを「最重要ハードル」として実務手順に落とす |
| ボウリングアレー/トルネード/メインストリート | キャズム後の成長局面の違い | 「越えた後も、戦い方が変わる」を示す(続編系で整理) |
“超え方”の原理(入門より一歩踏み込む)
まず「1つの勝てる浜(Beachhead)」を切る
横に広げず、特定業界・特定職種・特定ユースケースに“刺し切る”。主流市場は「万能」を嫌い、「確実」を好みます。Whole Product(丸ごと解決)を設計する
プロダクト単体ではなく、導入支援・運用・教育・連携・セキュリティ・SLAまで含めて“欠け”を埋める。参照可能な成功(リファレンス)を作る
事例の量より“同じ文脈の顧客が再現できる形”が重要。ここがAIマーケのABテスト(訴求最適化)とも噛み合います。主流市場向けの「失敗コスト低減」を売る
機能より、稟議が通る材料(ROI、監査、ガバナンス、移行計画)を整える。生成AIプロダクトなら特に、データ取り扱い・ログ・評価指標・人間の監督設計が“商品”になります。
具体例/活用案
1) 「技術は凄いが、市場が追いつかなかった」:Iridium(衛星電話)
Iridiumは1998年にサービスを開始し、端末価格や通話料の高さなども含め、想定したターゲット(遠隔地を移動するビジネス層)の“現実の利用条件”に合わず加入が伸びませんでした。結果として**1999年8月にChapter 11(米連邦倒産法)へ進んだことが報告されています。ここから学べるのは、「技術の到達点」ではなく「顧客の現場制約(屋内利用、価格、代替手段の進化)」**が普及を決める、という点です。
2) 「発明の熱狂はあるが、主流の“用途・規制・インフラ”を満たせない」:Segway など
研究・論考側でも、Segwayのように革新的でも主流に届かなかった例が挙げられています(同列に、ペン入力タブレット等の例示もあり)。キャズム越えには、機能そのものより**“当たり前に使える環境(ルール、設置、運用、価格)”**が必要、という示唆です。
3) 「初期セグメント選定が、その後の連鎖採用(cascade)を左右する」:デジタル音楽プレーヤー(Sony/Archos/Appleの比較研究)
キャズム現象を、初期市場セグメントの選び方が後続セグメントの採用連鎖に影響するという観点で分析し、Sony・Archos・Apple(デジタル音楽プレーヤー市場)を比較する学術論文もあります。実務的には「刺す浜を誤ると、その後いくら改善しても“連鎖”が起きない」ことの裏づけになります。
4) 実務のデータ分布
なお、キャズム期にありがちな失敗は、初期ユーザーの熱量(導入率・利用率)をそのまま主流市場へ外挿してしまうことです。初期市場の反応は“尖った層”の結果で、全体の比率(割合)を代表していないケースが多い。
たとえば獲得ファネルでも、クリック率やCVRの分布が必ずしもきれいな正規分布になるとは限らず、セグメントによって歪みます。だからこそ、次の顧客層で「同じ比率で伸びるはず」と仮定せず、セグメント別に検証(A/Bテスト、リフト計測)して“勝てる浜”を特定するのが重要です。
誤用(やりがちで危険)
「機能を足せば越えられる」:主流市場が求めるのは“機能の多さ”より“導入の確実さ”。Whole Productの欠けが残ったままだと、機能追加は複雑性を増やして逆効果です。
「市場を広く取れば当たる」:キャズム期に横展開すると、参照事例が薄まり、誰にも刺さらないメッセージになります。まずは一点突破が合理的です。
すぐ使える問い(Killer Question)
いま獲れている顧客は“ビジョナリー”か“プラグマティスト”か?
同じ「導入」でも意思決定の論点が別物。顧客タイプを誤判定すると、訴求・価格・サポート設計が全部ズレます。主流顧客が感じる“失敗コスト”を、誰が・何で肩代わりできているか?
キャズムの壁はリスクの壁。SLA、運用代行、監査対応、移行計画など、責任の設計がないと稟議が止まります。「最初の浜(Beachhead)」は、次の隣接市場へ“連鎖採用”を起こせる浜か?
刺さるだけでなく“波及する浜”を選ばないと、局所最適で終わる。初期セグメント選定が成長曲線を決めます。- いまの導入・継続・成功事例の比率は、初期市場(約16%)の“尖った反応”に偏っていないか?
分布(正規分布を前提にしてよいのか/歪んでいるのか)を誤ると、次の34%に刺さる設計へ切り替えられない。
参考文献リスト
一次ソース(著作・国際規格)
Moore, G. A. (1991). Crossing the Chasm: Marketing and Selling High-Tech Products to Mainstream Customers (1st ed.). HarperBusiness. https://www.harpercollins.com/products/crossing-the-chasm-3rd-edition-geoffrey-a-moore
- 改訂版:Moore, G. A. (1999). Crossing the Chasm (2nd ed.). HarperBusiness.
- 最新版:Moore, G. A. (2014). Crossing the Chasm (3rd ed.). HarperBusiness. ISBN: 978-0062292988.
Rogers, E. M. (1962). Diffusion of Innovations (1st ed.). Free Press of Glencoe. https://en.wikipedia.org/wiki/Diffusion_of_innovations
- 第5版:Rogers, E. M. (2003). Diffusion of Innovations (5th ed.). Free Press. ISBN: 978-0743222099.
Moore, G. A. (公式サイト). Crossing the Chasm – Book Overview. https://geoffreyamoore.com/book/crossing-the-chasm/
学術・教育機関
Finkelstein, S. (n.d.). The Rise and Fall of Iridium. Tuck School of Business, Dartmouth College. https://mba.tuck.dartmouth.edu/pages/faculty/syd.finkelstein/articles/Iridium.pdf
INSEAD Knowledge. (n.d.). Innovation Success: How the Apple iPod Broke all Sony’s Walkman Rules. https://knowledge.insead.edu/strategy/innovation-success-how-apple-ipod-broke-all-sonys-walkman-rules
Corporate Finance Institute. (n.d.). Diffusion of Innovation – Definition, Categories. https://corporatefinanceinstitute.com/resources/economics/diffusion-of-innovation/
Chasm Institute. (n.d.). Chasm Theory Development: The Complete History. https://diffusion-research.org/research_articles/chasm-theory-development/
企業公式ドキュメント・報道機関
Apple Inc. (2022, May 10). The music lives on. Apple Newsroom. https://www.apple.com/newsroom/2022/05/the-music-lives-on/
Wikipedia. (n.d.). Crossing the Chasm. https://en.wikipedia.org/wiki/Crossing_the_Chasm
Wikipedia. (n.d.). Iridium Communications. https://en.wikipedia.org/wiki/Iridium_Communications
The Washington Post. (1999, August 14). Iridium Files for Chapter 11. https://www.washingtonpost.com/archive/business/1999/08/14/iridium-files-for-chapter-11/29828512-3dce-4a0a-8e8e-b5725c72cad5/
Smithsonian Magazine. (n.d.). The Rise and Fall and Rise of Iridium. https://www.smithsonianmag.com/air-space-magazine/the-rise-and-fall-and-rise-of-iridium-5615034/
SEO・AI検索関連(E-E-A-T)
Google Search Central. (2024). Creating Helpful, Reliable, People-First Content. Google Developers. https://developers.google.com/search/docs/fundamentals/creating-helpful-content
Google Search Central. (2024). AI Features and Your Website. https://developers.google.com/search/docs/appearance/ai-features
Search Engine Land. (n.d.). An SEO guide to understanding E-E-A-T. https://searchengineland.com/guide/google-e-e-a-t-for-seo
BrightEdge. (n.d.). Ultimate Guide to AI Overviews! https://www.brightedge.com/ai-overviews
戦略フレームワーク関連
Strategic Management Insight. (n.d.). Whole Product Concept Explained. https://strategicmanagementinsight.com/tools/whole-product-concept-explained/
Lenny Rachitsky. (n.d.). Geoffrey Moore on finding your beachhead, crossing the chasm, and dominating a market. Lenny’s Newsletter. https://www.lennysnewsletter.com/p/geoffrey-moore-on-finding-your-beachhead
Business-to-You. (n.d.). Crossing the Chasm in the Technology Adoption Life Cycle. https://www.business-to-you.com/crossing-the-chasm-technology-adoption-life-cycle/
ケーススタディ・事例分析
Blue Ocean Strategy. (n.d.). Segway Case Study: Avoiding the Fate of Electric Scooter. https://www.blueoceanstrategy.com/blog/segway-case-study-avoiding-fate-of-segway-electric-scooter/
Prophet. (2011, April). Why Did Segway Fail to Meet Expectations? https://prophet.com/2011/04/30-why-did-segway-fail-or-did-it/


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