序章:7年説は「科学」ではなく「トリガー設計」として扱う
「脳は7年周期で変化する」「脳の本番は56歳から」——こうした言い回しは、黒川伊保子氏の著作や講演でよく知られています。
ただ、ここで一度“扱い方”を宣言しておきます。この記事は、7年周期を生理学の定数として証明しません。むしろ「7年で身体が総入れ替え」系の話は、細胞の更新速度が部位で大きく違うため、単純化が過ぎると指摘されています。
脳についても成人期の神経新生は研究が続く領域で、見解が割れるテーマです。
それでも私が「7年」を取り上げるのは、科学としての厳密さではなく、意思決定を動かす“節目(ランドマーク)”として強いからです。節目は人に「ここから新しい自分」という心理的区切りを与え、行動開始を後押しする(Fresh Start Effect)ことが示されています。
第1章:制約を知りすぎた瞬間、探索が止まる(個人編)
私は60歳以降の自分のキャリアに足らないものを補強することを目的に今回転職をすることにしました。ただ、現職においてもいろいろと知りすぎて、その知りすぎた知識が私自身にストップをかけているような気がしてなりませんでした。そんな中、新しく入ってきた中途社員は新鮮な視点で、私なら「それは過去にNG」「社内調整が重い」「ここが地雷」と、提案を“成立条件”の檻に入れてしまうところを彼/彼女らは、同じ提案を制約ごと飛び越える勢いで前に進める。
その姿を見た瞬間、気づいたんです。私はクリエイティブさを失ったのではなく、外部環境の変化に反応する感度と、可能性を残したまま探索する姿勢を、いつの間にか手放していたのだと。
ここで起きるのは、根性論では片づけられない「意思決定の癖」です。人は“いまの状態”を過大評価し、「変えない」選択を取りやすい(現状維持バイアス)。
さらに、熟練者ほどハマる副作用がある。いわゆる知識の呪い(curse of knowledge)です。知っている人ほど、知らない人の視点に戻れない。
そして発想面では、経験や既知の解が“固定(fixation)”として働き、新規の組み合わせを阻害することが議論されています。
私の中で、これが一本の線になりました。
「制約を知りすぎた熟練」は、探索を縮める。探索が縮むと、変化が見えなくなる。変化が見えないと、現状維持が“合理的”に見える。
そして気づいたときには、「動かない自分」が出来上がっている。
ここで私は、たまたまラジオで聞いた「脳の本番は56歳から」「7年周期で変化する」という話に引っ張られました。
正直、科学的な真偽を判定したいわけではない。でも、節目が人を動かすなら——これは“現状維持バイアスを破る合図”として使えると思った。
だから私は転職を決めたことは間違っていないと思い、いまは新天地までの2か月を「充電」ではなく探索モードとして使うつもりです。ここまでの知見を捨てるのではなく、むしろ最大限レバレッジするために、入力(人・問い・前提)を変える。そういう設計です。
第2章:企業も“7年単位の変革の窓”を設計できる(成長モデル編)
この話は、個人のキャリア論で終わらせると小さくなる。面白いのは、企業も同じ病理を持つからです。
組織は、構造ができるほど変わりにくい(構造的慣性)。
そして変革は、常時だらだら起きるというより「長い安定期+短い変革期」で起きやすい、という見方がある(断続平衡)。
要するに、個人が現状維持バイアスに落ちるのと同じで、企業も“最適化の快適さ”に沈む。
ここで効いてくるのが、探索(Exploration)と活用(Exploitation)の配分という発想です。探索は新規の可能性、活用は既存の確実性。両者はトレードオフで、配分を誤ると、短期も長期も壊す。
さらに、環境変化に合わせて資源を組み替える能力(Dynamic Capabilities)が競争優位の核になる、という議論もあります。
では企業は何を設計すべきか。私は「7年」を中計の長さとして盲信するのではなく、“変革の窓”として予定化するのが筋が良いと思っています。具体的には次の3点です。
事業ポートフォリオの棚卸し(何を伸ばし、何を畳むか)
経産省の「事業再編実務指針」は、持続的成長に向けた事業ポートフォリオの変革や、そのための仕組みづくりを論点として示しています。KPIの“モード切替”設計(探索KPIと活用KPIを混ぜない)
探索期に効く指標と、成熟期に効く指標は違う。ここを混ぜると、会議が「正しさの殴り合い」になって終わる。7年の節目で、ダッシュボード自体を刷新する——これが変革の窓になります。組織設計(探索が勝てる器を期間限定で作る)
安定期は最適化が強い。だから変革期だけ、探索が勝てる権限・評価・人材配置に寄せる。断続平衡の考え方と整合します。
ここまで来ると、個人の「7年リセット」と企業の「変革の窓」は、ほぼ同型です。
個人:役割・場所・学び・ネットワークを入れ替えて、入力を変える。
企業:事業・KPI・組織を入れ替えて、意思決定の入力を変える。
どちらも、“気合い”ではなく設計です。
結論:7年を神話で終わらせず、プロトコルに落とす
私が「転職の決断は正しかった」と再認識できたのは、「脳7年説」を信じ切ったからではありません。
節目が行動を起動するという知見に照らし、7年を「自分が動く合図」にできたからです。
そして、制約を知りすぎた自分(知識の呪い/固定化)を、環境変更でいったん“解除”できると思えたからです。
「7年」は、真理である必要はない。合図として機能すれば十分です。
7年説は正しさの根拠ではなく、意思決定のトリガー。 トリガーで動き、設計で継続する——これが現状維持バイアスを抜ける現実解です。
参考資料
学術論文
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政府・公的機関資料
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書籍・講演
黒川伊保子 (2017). 『成熟脳 脳の本番は56歳から始まる』新潮社.
https://ihoko.com/books/seijyukunou
閲覧日: 2026-01-24慶應MCC (2024年10月10日). 黒川伊保子氏講演「人生に効く脳科学~脳の本番は56歳から~」.
https://www.keiomcc.com/magazine/sekigaku267/
閲覧日: 2026-01-24
科学ジャーナリズム・メディア記事
- Live Science (2022年6月28日更新). Does the human body replace itself every 7 years?
https://www.livescience.com/33179-does-human-body-replace-cells-seven-years.html
閲覧日: 2026-01-24
ウェブ記事(検証対象・関連記事)
marketing-ai.biz / Blink & Think (2026年1月24日). 現状維持バイアスを破る「7年リセット」.
https://marketing-ai.biz/2026/01/24/現状維持バイアスを破る「7年リセット」/
閲覧日: 2026-01-24marketing-ai.biz / Blink & Think (2026年1月18日). AI音楽の洪水で、アーティストは何を”売る”のか.
https://marketing-ai.biz/2026/01/18/ai音楽の洪水で、アーティストは何を売るのか/
閲覧日: 2026-01-24


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