Summary
意思決定・判断(Decision & Judgment)の中でも、撤退・継続判断を歪める代表的な認知バイアスです。
「取り戻せない過去の投資(時間・お金・労力)を、未来の判断材料にしてしまうクセ」
いつ使うか:広告運用・開発・CRMなどで“やめ時”を決める場面で、判断基準を現在価値に戻すために使います。
秀逸ポイント
サンクコストが秀逸なのは、「論理の誤り」ではなく“現場で起きる損失”に直結する点です。過去投資は取り戻せないのに、人は「もったいない」「ここで止めたら今までが無駄」という感情で、追加投資・継続を正当化しがちです。すると、赤字施策の延命、学習が止まったプロジェクト、惰性のプロダクトラインが温存され、機会損失(本来回せた成長投資)が膨らみます。
さらに厄介なのは、サンクコストが「判断」だけでなく、その判断を正当化する“説明ストーリー”を強化し、データの見方(採用するKPIや解釈)まで偏らせる点です。
例えば、都合の良い指標だけを強調したり、A/Bテストの停止基準を後から動かしてしまうと、意思決定は改善ではなく“自己正当化”に向かいます。
MMM(マーケティング・ミックス・モデル)・インクリメンタリティ検証・LTVモデルは、サンクコストの心理を消す道具ではありません。ただ、継続の理由を「過去投資」ではなく「将来の期待リターン」で説明し直す土台を作り、撤退判断を合意しやすくします。
したがって実務では、「サンクコストだ」と断じる前に、①未来の期待値(成功確率込みの期待リターン)、②代替案の機会費用(同じ資源を別案に回した場合の期待値)、③撤退の学習価値(何が残り、次に何へ活かせるか)を同時に比較するのが安全です。
提唱者・発表時期
「サンクコスト(埋没費用)」自体は会計・経済学で古くからある概念ですが、意思決定のバイアスとして体系的に扱われたのは行動経済学・心理学の流れです。代表的には、Richard H. Thaler が1980年に消費者選択の“アノマリー”としてサンクコスト効果を取り上げたことが起点としてよく参照されます。
その後、Arkes & Blumer(1985)が「投資後ほど継続しやすい」現象を “sunk cost effect” として実証的に示し、シーズンチケットのフィールド研究などを報告しました。
関連概念として、組織行動論ではStaw(1976)が“コミットメントのエスカレーション”を論じ、後続研究と合流して理解が進みました。
詳細説明
サンクコスト(埋没費用)とは、すでに支払って回収不能になった費用(お金・時間・労力)を指します。経済学の規範的な意思決定(費用便益)では、サンクコストは「これからの選択肢の比較」に影響させるべきではありません。にもかかわらず、人はサンクコストが大きいほど継続を選びやすい——これがサンクコスト効果/サンクコストの誤謬です。
なぜ起きるのか(メカニズムの代表例)
研究では単一要因ではなく、複数の心理が重なって起きると説明されます。代表的には次の3つが実務で刺さります。
「無駄にしたくない」規範の過剰一般化:日常では有益な“もったいない”ルールが、撤退判断では逆効果になる。
自己正当化・一貫性:過去の判断を誤りと認める痛みを避け、追加投資で「正しかったこと」にしたくなる(コミットメントのエスカレーションと接続)。
後悔回避(Regret):やめた直後に成功しそうだと「損した気分」になるため、やめられない。
似て非なる概念との違い(比較表)
| 概念 | 何が起きているか | サンクコストとの違い | マーケ現場の例 |
|---|---|---|---|
| サンクコスト効果 | 過去投資が撤退を妨げる | “回収不能”がポイント | 失速した広告施策を「ここまで作ったLPが…」で延命 |
| 損失回避(Prospect Theory) | 損失を過大視して回避する | “現在〜未来”の損失の見え方 | 値上げで解約が増える損失を恐れて先送り |
| 現状維持バイアス | 変化コストを過大評価し現状を選ぶ | サンクコストが無くても起きる | ツール刷新を「今の運用で回るから」と拒む |
| エスカレーション・オブ・コミットメント | 失敗兆候があっても投資を増やす | 組織政治・面子など要因が広い | PMが撤退条件を曖昧にし予算追加を要請 |
“効く場面”は2種類ある(研究の整理)
メタ分析では、サンクコストが効く意思決定を大きく (1) 利用(utilization) と (2) 進捗/継続(progress) に分けて整理しています。たとえば「買ったチケットを使うか」は利用、「このプロジェクトに追加投資するか」は進捗です。効果は一般に観察される一方で、意思決定タイプや時間間隔などで強弱が変わることが示されています。
注意:万能ではなく、状況で効かないこともある
フィールド実験では「支払った価格が高いほど使う」というサンクコスト仮説が支持されないケースも報告されています(例:ザンビアでの消毒剤販売では、価格が使用を“心理的に”押し上げる証拠は一貫して見られず、主にスクリーニング効果が確認された)。
したがって実務では、「サンクコストだ」と断じる前に、①未来の期待値、②代替案の機会費用、③撤退の学習価値 を同時に比較するのが安全です。
具体例/活用案
ここでは「研究で確認された具体例」と「マーケ実務での再現しやすい型」を分けて整理します。
研究で確認された具体例
例1:シーズンチケット(フィールド研究)
Arkes & Blumer(1985)は、大学劇場のシーズンチケット価格をランダムに割り引き($15 / $13 / $8)し、その後6か月の観劇回数を追跡しました。高い価格を払った群ほど観劇回数が多く、支払い済みのコストが利用行動を押し上げる形で現れました。(※後半の演劇(購入から6〜9か月後):サンクコスト効果は見られなかった)
例2:価格の“束ね方”でサンクコストへの注意が変わる
Soman & Gourville(2001)は、価格をバラで払うより“バンドル”すると取引コストと便益が切り離され(transaction decoupling)、サンクコストへの注意が弱まり、結果として消費(利用)判断が変わり得ることを示しました。
マーケ的には、サブスクやポイント前払いなど「支払いと利用がズレる設計」は、継続・利用・解約の意思決定に影響し得ます。
実務での活用パターン(施策設計・運用)
運用の“撤退条件”を先に決める:CPA/LTV/インクリメンタリティの閾値、学習期間、停止ルールを事前に合意し、後出しで基準を動かさない。
意思決定を“現在価値”に戻す問い:「いまゼロから始めるなら、この施策に同じ予算を投じるか?」(ゼロベース視点)
AIで“やめ時”を自動化する:マルチアームド・バンディットや予算配分最適化で、感情ではなく期待リターンで配分を更新する(人はガードレール設計に集中)。
誤用の例(注意喚起)
「サンクコストがあるから回収のために追加投資すべき」は誤りです。回収不能な費用を理由にすると、損失を拡大します。
顧客にサンクコストを“人質”にする設計(解約を極端に難しくする、過度な前払いを強要する等)は短期KPIは伸びても、信頼毀損でLTVを下げやすいので避けるべきです。
撤退判断のチェックリスト(5項目)
1. 目的と評価軸は明確か(何を達成したいのか)
この施策/プロジェクトの目的は「売上」「粗利」「LTV」「継続率」「インクリメンタル効果」など、どれか一つに明確化できていますか。
目的が複数ある場合、優先順位(第一目的/第二目的)が合意されていますか。
意義:目的が曖昧だと、都合の良いKPIを採用して“延命の物語”を作りやすくなります。
2. 続ける場合の「未来の期待値」はプラスか(確率込みで)
追加で投じるリソース(予算・工数・期間)はいくらですか。
成功した場合の上振れ(増分売上×粗利、LTV増分など)と、失敗した場合の下振れ(損失・信用・機会損失)を置けますか。
成功確率を、根拠(過去の改善速度、実験結果、類似ケース)つきで置けますか。
意義:「希望」ではなく“確率込みの期待値”に落とすと、サンクコストの感情を相対化できます。
3. 代替案の機会費用を比較したか(同じ資源で他に何ができるか)
いまの継続に使う予算・工数・期間を、代替案A/Bに振り替えると何が起きますか。
代替案は「大計画」ではなく、短期で検証できる現実案(例:別チャネル、クリエイティブ刷新、配信設計の再構成、既存顧客のLTV改善、生成AIでの高速AB)になっていますか。
意義:撤退判断は“続ける/やめる”ではなく、“続ける/別に賭ける”の比較です。
4. 検証設計と停止基準は守れているか(後出し変更をしていないか)
A/Bテストや検証の停止基準(期間、サンプル、閾値、判断者)は事前に定めましたか。
不利な結果が出た後に、評価指標や停止基準を動かしていませんか(後出しのKPI差し替え、期間延長など)。
可能ならインクリメンタリティ(ホールドアウト/リフト)で「やめた場合の影響」を確認できますか。
意義:サンクコストが強い場面ほど“ルール破り”が起きます。ガバナンスが最後の防波堤になります。
5. 撤退しても「学習価値」が回収できる形になっているか(やめ方の設計)
撤退する場合、何が分かったか(仮説の確定/否定)を1枚で説明できますか。
残せる資産(ログ、データ、モデル、クリエイティブ、運用手順)は何ですか。
再挑戦の条件(いつ、どんな条件が揃えば再開するか)を定義できますか。
意義:撤退を“損切り”ではなく“学習の完了”に変換できると、サンクコストの痛みが減り意思決定が速くなります。
使い方
この5項目で 「未来の期待値」×「代替案」×「検証ルール」×「学習回収」 を揃え、過去投資(サンクコスト)は判断材料から外します。
すぐ使える問い(Killer Question)
いまゼロから計画を立て直すなら、この施策に同じ予算・人員を投じますか?もしNOなら、続ける理由は「過去投資の回収」だけになっていないかを疑うべきです(意思決定を現在価値に戻す)。
撤退して浮くリソースで、どの代替案を“何週間で”検証できますか(A/Bテスト、クリエイティブ刷新、別チャネル、生成AIによる量産など)?機会費用を時間で刻むと、延命の本当のコストと学習損失が露見します。
継続の条件をデータで定義できていますか(インクリメンタリティ、LTV、停止基準、学習期間、次の改善仮説)?ルールが無いと、KPI未達でも解釈が後付けになり、投資が惰性で積み上がります(誰が判断するかも明確に)。
参考文献
記事で引用されている主要研究
Thaler, R. H. (1980). Toward a positive theory of consumer choice
Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The psychology of sunk cost
関連する重要研究
Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk
Olivola, C. Y. (2018). The interpersonal sunk-cost effect
Cui, J., Wang, Y., et al. (2013). An fMRI study on sunk cost effect
参考書籍
Thaler, R. H. (2015). Misbehaving: The Making of Behavioral Economics
Kahneman, D. (2011). Thinking, Fast and Slow
一般向けリソース
The Decision Lab – The Sunk Cost Fallacy


コメント